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最高裁判所第二小法廷 昭和27年(オ)340号 判決 1954年7月09日

東京都千代田区内幸町 幸ビル内

上告人

吉永多賀誠

右訴訟代理人弁護士

島田徳郎

同都同区丸の内一丁目一番地

被上告人

日本国有鉄道

右代表者総裁

長崎惣之助

右当事者間の損害賠償請求事件について、東京高等裁判所が昭和二七年四月八日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人弁護士島田徳郎の上告理由は末尾添付のとおりである。

上告理由第一点について。

所論指摘の大審院判例は商法五七七条に関するものであつて、所論の同法五八一条に関するものではない。従つて本件には適切な判例ではないから所論判例違反の論旨は理由がない。爾余の論旨は運送人である被上告人側に悪意又は重大なる過失があつたと認められないと認定した原判決の事実認定を非難するに帰するものであるから、適法な上告理由とならない。

同第二点乃至第四点について。

所論は「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律第一三八号)一号乃至三号の何れにも該当せず、又同法の「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものとも認められないから採るを得ない。

同第五点について。

所論前段の点については、原判決は本件の損害額の算定基準は結局統制価格によるべきものとの判断の下に、その趣旨に基き判示していることは原判示に照して明らかである。従つて原判決には所論判断遺脱の違法ありということはできない。

次に所論後段の、物価統制令三条の規定は営利を目的として当該契約を為すに非ざるものにはその適用のないことは所論のとおりである。しかし原判決は本件に物価統制令それ自体を適用したものではなくして、物価統制令の適用を受ける物件としてその統制価格をその損害額算定の基準としたに止まるものである。そして本件損害額は上告人がその引渡しあるべかりし日における到達地において同種物件を取得することのできる価格、即ち通常は当該物件の右日時及び地における市場価格と解するを相当とすべきところ、当該物件に価格統制ある場合においては、特別の事情のない限り、契約当時者双方の何れもが、営利を目的としない契約若しくは当該契約が自己の業務に属しない契約(価格統制令一一条参照)のみによつて取得し得るものとは到底言い得ないのである。しからば本件の場合、もし統制価格以上の損害額を認容するときは、いわゆる闇価格と統制違反行為とを是認する結果となるものであつて、かかる違法行為を遂行するかも知れないことを公認することはできないのである。それ故統制価格ある本件の場合の損害額は、当該物件の統制価格をもつて通常生ずべき損害額と解するを相当とする。されば原審が判示統制価格をもつて本件損害額の基準としたことはまことに正当であり、原判決には所論の違法はないから論旨は採るを得ない

よつて民訴四〇一条、同九五条、同八九条に従い、裁判官一致の意見によつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)

昭和二七年(オ)第三四〇号

上告人 吉永多貿誠

被上告人 日本国有鉄道

上告代理人島田徳郎の上告理由

一、原判決は大審院の判例と相反する判断をした違法がある。

大審院昭和四年(オ)第四七七号同年六月十九日第三民事部判決によれば、

大正十二年関東大震災直後、震災地に於て運送品の如き物品を保管するについては幾多の困難なる事情ありたることは之を領し得さるにあらざるを以て、その保管に関する手段方法は平時に比しその趣旨を異にすべきは言を俟たずと雖も、如何に其の保管が困難なるにもせよ運送人が既に此の異常なる時期に於て多難なる運送品保管の責任を引受けたる以上、当事者間に其の保管の責を免れしむへき特約なき限り、運送人はその保管に対し当時可能なる範囲に於ける相当の用意を以て之に当らさるべからざるは当然の事理にして、その義務の履行が容員にあらざるの故を以て、又運送品の価額、運送品の賃率がその労務に報ひさるが為にその責を免れ得べきものにあらず、

とある。

然るに原審判決によれば、

本件小荷物の託送当時は今次大戦の末期に当り、我国全土は連合軍の熾烈な空襲下に曝されて国土は極度に混乱した情況にあり、しかも軍需品をはじめ疎開荷物等の鉄道輸送は輻輳し、国有鉄道の職員も応召転出等によつて極めて手不足の状態にあつたことは公知の事実(このうち後段の事実は当審証人横田長八の証言によつても明らかである)であつて、このような情況の下においては平常時におけるやうな正確ではあるが、いちいち複雑な受授証による正規の小荷物取扱手続に従ふことができなかつたとしても、かような逼迫した当時の情況からいつて蓋し已むを得なかつたと解せざるを得ず、少くともこの一事を捉へて運送人たる国に於て悪意、又は重大な過失があつたといふことはできない。この点に関し、国が昭和十七年二月二十五日鉄道大臣達第百号小荷物扱貨物取扱手続第三十七条及昭和十七年二月二十五日鉄道大臣達第八十九号旅客及手荷物取扱細則第二百十六条の規定によつて、鉄道局長の指令に基く所謂総個数受授の簡略手続を指定的にもせよ実施するの已むを得なかつたこと(前顕横田長八の証言によつて明らかである)は這般の消息を物語るものである、

と判示した。

即ち、(1)空襲により国土が混乱してゐたこと、(2)輸送輻輳してゐたこと、(3)手不足であつたことは公知の事実であること、この(1)乃至(3)のやうな状況の下に於ては平常時におけるやうな、(4)受授証による正規の小荷物取扱手続に従はないでもよいこと、(5)総個数受授も已むを得ないことを判示したものである。

併し、国土が混乱し仕事が多忙で手不足であつても、国民は各自その職責に任じ、郵便夫は郵便物の集配をし、検事は検察をし、裁判官は裁判をし、農民は収穫を挙げてゐたことは顕著であつて之亦公知の事実であるから、混乱、多忙、手不足といふことは仕事の遅延の理由にはなるとしても之を以て曠職の弁とすることは出来ない。換言すれば郵便夫が郵便物を遺棄し、検察官が人権を蹂躪し、裁判官が訴訟手続に違背してもよいことにはならない。

又、受授証による正規の小荷物取扱手続に従はないでもよいといふのは如何なる手続によつてもよいのか判示不明であるか、恐らく記録によらずして荷物の運送をしてもよいといふ意味であろうか、かくの如きは到底許されない。原審に提出した上告人の昭和二十五年七月十九日附準備書面記載の通り、一ケ月三、四百万個の荷物を取扱ふ国有鉄道が記録によらない輸送をしたときの混乱は想像をも許さないものがあろう。裁判所の日常を見るに、記録の逓時は一々逓時簿による、若し逓時簿によらずして書類を逓時しその所在不明となつたときはその事務担任者は重大な過失の責を負ふへきである。況んや本件は業として他人の荷物を取扱ふものであるから、記録輸送(受授証による輸送)に依らない輸送が許される道理がない、これを許すべきだとする原審の判示は人類の常識を逸脱するものである。

次に原審は、総個数受授の簡略手続を暫定的にもせよ実施するの已むを得なかつたことは無記録輸送を許すへき消息を物語るものであると判示した、

併し原審の所謂総個数受授の簡略手続とは、旅客及手荷物取扱細則の「一時に多数の荷物を受託したる為運送上特別の手配を要するときは鉄道局長の指揮を受くへし」との規定に基き鉄道局長の指揮による所謂総個数受授の簡略手続を謂ふもののやうであるが、それは「一駅で」「一時に」「多数の」「荷物」を受託したときのことであつて、「別異の駅で」「別異の時に」「別異に」受托した荷物についてはかかる取扱は出来ないし、又仕様もない。

第一審証人横田長八の証言第六問によると「そうして受授証は励行することになつて居りましたが、運輸省としては各鉄道局長に総個数受授、即ち受授証に発着駅名を記せず、単に個数のみを記載して受授する方法をとることを許容しており、各鉄道局でもそれをやつたことがありますが、事故が多いので昭和十八年二月十一日に正規の受授に復しました(中略)。総個数受授は個数だけ書きます、発着駅番号等は書きません、だから受授は簡単です(中略)。総個数受授の取扱を指定した駅と指定しない駅がありました、やつたとすれば高松駅だけです」とあり、若し総個数受授をしたと仮定してもそれは発着駅及切符番号が省略せられるだけで、受授の年月日、積載列車番号、発行者及その所属駅名、積載列車番号及乗務員名が記載せられ受取者の捺印があるから荷物の行方不明となる虞はない。被上告人は本件運送品につきこの所謂総個数受授をも行つたとは言つてゐない。加之、原審は切符番号第三号が昭和二十年七月二十日頃、中継駅高松駅から第一〇五号列車に同第一二六号及第七二号が同年六月二十八日頃及同年七月一日頃、高松駅から第十三号列車及第十七号列車に積荷された記録の存することを認定してゐる。

要するに原審の判示は大審院の判例に違反し、且運送業者の運送品取扱に関する一般社会の通念に反する違法がある。

二、原審判決には採証の法則を過り事実を誤認し、法令の解釈適用を過つた不法がある。

原審判決は、原審証人佐竹正敏の証言に徴するときは同人の調査の結果によると、本件小荷物中切符番号第三号の小荷物が昭和二十年七月二十日頃、中継駅である高松駅から第一〇五号列車に積荷され、同第一二六号及七二号の各小荷物が同年六月二十八日頃及同年七月一日頃、同高松駅から第十三号列車及第十七号列車に夫々積荷された旨の記録があるが、当時の高松駅から到着地豊永駅に至る土讃線の車掌区の手荷物小荷物の受授証の有無については、当該列車車掌側で受継いた記録が存しないことが認められる。しかしかくの如く右調査の際、本件小荷物の運送経路の一部について正規の受授証によつてその受授の関係を明らかにすることが出来なかつたとしても、同証人並に原審及び当審証人横田長八の各証言によつて明かなやうに、(1)終戦当時貨物受授証の如きも他の記録と共に一部焼却したものもあつて本件の如きも或はその中に含まれるのではないかとも疑はれ、右受授証による記録の存しない一事を以て直ちに当時の係員が最初から受授証によらず漫然無記録荷物として取扱ひ、荷物の行方を探索する方法もないようにして係員、その他部外者によつて盗取され易い状態のまゝ運送したものと速断することは許されないと判示した。

以上の判示は要するに、(1)切符番号第三号については、昭和二十年七月二十日高松駅発第一〇五号列車に積荷された記録、(2)切符番号第一二六号については、昭和二十年六月二十八日高松駅発第十三号列車に積荷された記録、(3)切符番号第七二号については、昭和二十年七月一日高松駅発第一七号列車に積荷された記録は存するが、(4)高松駅から豊永駅に至る土讃線車掌区手荷物受授の記録がない、然し右記録は焼却した記録中に包含せられるかとも疑はれる。(5)荷物運送の一部の経路に於て、正規の受授証によつて受授関係を明かにすることが出来なくても荷物紛失につき悪意、又は重過失あるものとは言へないといふに帰する。

而し右のうち、(2)(3)及(4)は事実及証拠に反し、(5)は故意又は重大なる過失といふ法令の解釈及適用を誤つたものである。

右の内(2)及(3)の荷物については高松駅係員作成の中継受授証は存在するが、その乙片に列車乗務員の捺印がないので、果して之を列車に積載したのか、しないのか、積載したとすれば何といふ列車乗務員に渡したのか不明であるから、積載せられた記録があるとの事実認定は不当である。

(4)の高松駅から豊永駅に至る土讃線車掌区手荷物受授の記録そのものは高知車掌区に厳存するのであるから、原審が焼却の疑ありとしたのは証拠に反する事実の認定である。本件当時の荷物受授関係の記録は車掌区にあるが、その記録中、本件荷物の受授に関する記載を欠如するといふのである。此の事実を証拠により説明すれば左の如し。

証人佐竹正敏の証言によれば、

「それで同人(四国鉄道局事務官横田長八)から紹介状をもらひ、昭和二十一年九月五日高知車掌区に行き、昭和二十年七月一日より同年八月中旬迄の土讃線車掌の手小荷物受授証の閲覧を求め、鎌倉発豊永行の小荷物の有無を調査しました。夫の結果、最初高松で調べた時あつた小荷物の前述四〇は受継たことになつて居り、又前述七月一日高松駅で積出したことになつてゐた一七、七二の分については記録がありませんでした。前述一二五と一二六の分も車掌側の方では受継だことになつて居らず、結局車掌側の方で受継いたことになつて居るのは前述の四〇だけでありました」

とあり、成立に争なき甲第五号証の一及二四国鉄道局より上告人宛の書面によれば、車掌区に記録が存在し、調査の結果積載した旨の記載がない。

成立に争なき甲第二十一号証によれば、運輸省にて調査の結果、荷物中継関係記録は高松駅に存在するとあり、依つて荷物受授記録を焼却したので受授関係を明かにし得ないといふことは本件の場合は認定し得ない。若し大船、その他の駅に於て本件荷物の中継関係書類を焼却したことがあるとしても、本件荷物は記録により高松駅まで到着した事実が証明せられてゐるから、高松駅から到着駅までの中継に関するものでなければ問題とならない。

最後に原審は、荷物運送の一部経路に於て受授証により受授関係を明かにすることが出来なくても荷物紛失につき悪意又は重大な過失といへないと断定した。固より受授関係は受授証のみによつて明かにする必要もないであろうか、少くとも記録によつて之を明かにしなければその責を免れることは出来ない。

昭和十七年二月二十五日運輸大臣達第八九号旅客及荷物運送取扱細則第三編第四章運送第二百三十九条は、

「荷物の積込取卸、又は中継を為すときはその取扱係員相互間に於て受授証により之が受授を為すべし」と規定してゐる。而して右第二審に於ける証人井沢長平の第一回証言の如く之は現実に遵守せられてゐる。又、証人横田長八の第二審に於ける証言によれば、

「受授証がなくなつた後に紛失した荷物の調べ様はありません」

とある。斯の如く荷物輸送上必要不可決のものを作成せず、而かも成立に争なき甲第十二号証本件荷物の着駅たる豊永駅に於て駅員十名の窃盗団ありたること、同甲第十三号証そでの下から窃盗まで筆頭は鉄道の荷抜、同甲第十四号証官公吏の犯罪一万一千名突破、最高は鉄道の二千八百名、同甲第十五号証官公吏の役得犯罪筆頭は鉄道、同第十六号証紛失荷物丸公で一億円続出する鉄道事故に防止運動、同甲第十七号証ひどいのは鉄道で東鉄管内でも一万数千件、同甲第十八号証鉄道職員が筆頭、統計が語る公務員の犯罪、同甲第十九号証主食もとがめない抜取の被害の届出に特例、同甲第二十七号証荷抜き団三十二名検挙五千余件殆ど国鉄の古参格、同甲第三十号証一億円の大抜取り東京車掌区で発覚職員等四十余名検挙、同甲第三十一号証起訴百二名に上る国鉄車掌らの荷抜団の新聞記事並に被告より第一審裁判所へ提出した昭和二十三年十一月九日附書面附属中の「最近食料品衣料品引越荷物等に対する盗難不着紛失事故は激増の傾向に在り部内職員及準職員に依る犯行と認めらるゝもの尠さる現状に鑑み云々」より見るときは受授証に依らすして荷物の積卸中継を為し、依つて以て荷送人をして荷物の行方、責任の所在を探究することも出来ないやうな状態において荷物取扱をしたことは法令に言ふ悪意、又は重大な過失と言はなければならない。然るに原審が之と相反する法令の解釈適用をしたのは不法である。因に証人佐竹正敏の第一審に於ける証言によれば、高松駅棧橋では荷物だけ貨車に積で中継書等の書類を作らずそのため荷物が判らぬ事があつたと言ふことですとあり、記録を伴はない荷物の輸送は盗人の群に財物を投するに等しき暴挙にして之を悪意、又は重過失といはずし他に悪意、又は重過失なるものありや疑はざるを得ず。

三、原審判決は採証の法則を過り、証拠に反して事実を不当に認定した不法がある。

上告理由第一点記載の通り、原審は

(1) 空襲により国土が混乱してゐたこと、

(2) 輸送が輻輳してゐたこと、

(3) 手不足であつたこと、

を理由として、記録による輸送をなさずとも運送人に悪意、又は重過失なしとした。

然し、空襲により国土が混乱してゐたのは空襲を受けた土地がその空襲を受けた時に限り、空襲被害と隔絶する地にあつて荷物を運送する者とは関係がない。証人横田長八の第二審に於ける証言の如く高松駅より豊永駅までの間戦災を受けた駅はない。即ち本件小荷物が、最後にその所在を確認された高松駅より着駅までの間には空襲はない。

次に輸送が輻輳してゐたといふが、之は輸送能力に応して輸送は制限停止せられてゐたから右様な輻輳はない。乙第一号証ノ一、二、旅客及荷物運送戦時特例及び第二審証人井沢長平第二回訊問調書中「六、七月に急に増えた原因は小荷物の受托制限が解除され、七月初頃より疎開が始まる関係で増えたのであります(中略)。その後制限を一日一人一個あたりならば全面的に解除したのであります。当時受托荷物の内容の制限は衣類のみと思ひました。小荷物の受付のとこに『一世帯一日一個の割で衣類に限り受託する』と云ふ掲示をした記憶があります(中略)。受託制限解除後も輸送可能方面の荷物のみを受託し事故(空襲)のあつたところの方面は受託停止をしていたのであります」の証言の通りであつて、輸送輻輳のため正規の輸送手続の書類を作成し得ないことはなかつたことが伺はれる。

最後に人手不足といふが左様な事実はない。証人横田長八の第二審に於ける証言によれば、

「手荷物小荷物扱の人員や車体数は戦前とその後を比較すると、荷物の多い時に多少増減はありましたが大した変化はありません」

とある。即ち列車に連結する貨物車数とその乗務員は戦前戦中変化はないことが明かである。

尚、列車の停車時間に於ても差のないこと公知の通りである。而かも本件荷物を積載したりと目せられる前記第三号列車は午前六時高松駅仕立、第十三号列車は午前九時四十六分高松駅仕立、第十七号列車は午後十二時五十八分高松駅仕立で、何れも昼間運行する列車であることについては当事者間争はない。かゝる白昼運行する列車内で車掌が受授証を作成する時間のないことは絶対にない。之を作成しなかつたのは荷物紛失に付き、悪意にあらされば重大な過失といふべきである。

依つて右と相反する原審の判示は尽く失当である。

四、原審判決は主張及立証の責任を顛倒した違法がある。

原審判決は、本件小荷物が鉄道の従業員によつて盗取せられたことは甲号証の立証にては肯認することが出来ないと判示した。

然し荷送人は、荷物を運送人に引渡して現実の占有を失ふから盗取の事実を証明することが出来ない。而して運送人は荷物車掌及駅係員により現実に占有してゐるのみならず輸送記録(受授証)の所持をしてゐるから、他から盗難があつたときは之を主張立証すべきである。之を主張立証することが出来ず荷物の占有も輸送記録も失つて後、荷送人をして之を主張立証させようとするのは主張及立証責任の顛倒である。

五、原審判決には判断遺脱、理由不備の不法がある。

原判決は、本件小荷物の引渡あるへかりし日時の到達地に於ける価格は価格等統制令の適用ありとして、上告人の主張する統制価額は市場に於ける営業者間の物の取引価額にのみ適用ありて、非商人の所持する非商品の損害に対する賠償については適用なしとする主張に対し判断を遺脱したるが、之を排斥するにつき理由を附せざるの不法がある。

物価統制令や価格等統制令は、市場(経済学上の用語で売買取引の行はれる分野を指し建物の意味ではない)に於ける営業者間の物の取引価格を統制せんとするものであるから、市場に於ける営業者間の物の取引でない限り価格の統制を受けない。換言すれば、個人が自家用に供する為めに所有する物に付ては統制価格はない。

物価統制令第二条には「本令ニ於テ価格等トハ価格、運送賃、保管料、賃貸料、加工賃、修繕料、其ノ他ノ給付ノ対価タル財産的給付ヲ謂フ」とある。「給付ノ対価タル財産的給付」とは、契約に基き一方の給付があり相手方が反対給付をするもの、即ち当事者間の双方が債権、債務を負担する債権契約関係を謂うのである。物価統制令違反が、必要的共犯であることからも契約関係に基く対価に付てのみ本令の適用があることが明かである。同令第十一条には「第三条及前二条ノ規定ハ契約ノ当事者ニシテ営利ヲ目的トシテ当該契約ヲ為スニ非ザルモノニハ之ヲ適用セズ」と定め、非営利行為には之を適用しないことを明規してある。要するに物価統制令は契約関係に基く営業者間の対価たる給付に適用あるもので、本件の場合には適用がない。以上のことは価格等統制令に付ても同様である。

被上告人は、昭和二十年四月二十五日農商省告示第二百四十五号中古衣類の販売価格指定による価格が本件物件の損害額の算定に適用ありと主張して居るが、その過てることは同告示三の(三)に「前各表価格ハ都道府県生活用品価格査定委員会ノ査定ヲ受ケ其査定証紙ヲ当該物品ニ貼附シタルモノノ価格トシ同委員会ノ査定ヲ受ケザルモノ又ハ其査定証紙ヲ貼附セザルモノヽ価格ハ前各表ノ五級品ノ価格ノ五割下ゲトス」とあるによりても明かである。右規定は、営業者の手中に存する物の価格に適用せられるのであつて営業者にあらざる個人の所有物には適用がない。

以上

昭和二七年(オ)第三四〇号

上告人 吉永多賀誠

被上告人 日本国有鉄道

上告代理人島田徳郎の上告理由訂正申立

右当事者間の御庁昭和二十七年(オ)第三四〇号事件につき、上告人は昭和二十七年五月三十一日附を以て提出した上告理由書を左の通り訂正申立候也。

一、理由書第二丁裏三行目「指定的」を「暫定的」と訂正。

一、同上第三丁裏三行及四行目中の「逓時」を何れも「逓付」と訂正。

一、同上第六丁目表末行「右記録」と「焼却」との間に「は」を加ふ。

一、同上第七丁裏五行目「一及二」と「四国鉄道局」との間に「、」を加ふ。

一、同上第九丁裏四行目「記録を伴はない」の上に「とあり」を加ふ。

一、同上第十丁表末行「甲」を「乙」と訂正。

一、同第十三丁裏「右陳述候也」の前に左の一文を加へる。

「仮りに百歩を譲り本件運送品に価格統制令の適用があるとすれば、都道府県生活用品価格査定委員会の査定及査定証紙なきものとして五級品の統制額の五割引として価格を定めるのが、或は右査定及証紙なきも査定及証紙あるもの同様の価格とするのか、若し然りとせば、査定及証紙なきものを之あるものと同様の価格とする理由如何については原審はその判示を欠いてゐる」

右訂正申立候也。

以上

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